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次郎三郎のブラック企業体験記!
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クレームの嵐、そして、、
新しいバリバリ体育会系上司になってからというもの、
「イメージしていた営業」漬けの日々を送るようになりました。
恐怖心からアポを必至でとろうとするテレアポの毎日・・・
そしてついに恐れていたことが起こってしまいました、、
こうして入社後早3ヶ月が経ち、体制が新しくなったものの・・・
自社ソフトは劇的に売れることはありませんでした(汗)
自分も毎月2、3本程度、一生懸命成約をとっていたのですが、
販売した先からは納品後、ほぼ100%の確率でクレームが発生しました。
できるとかかれていることが、
そのソフトでは実現できなかったからです。
開発部門がもう無いため、システムの改修すらできず、
会社も外部に委託せず、放置。
さらに当時は顧客をフォローする部署もなかったため、
クレームは営業が対応するしかない状態でした。
当時のお客さんは、個人事業主や零細企業のみだったため、
たとえ、数十万でも大きな投資だったのでしょう。
クレーム対応で謝罪にいった先々で、
「どうしてくれるんだ!騙された!詐欺のようなもの!」
「金返せ!土下座しろ!」
などと、言われ、
まだ入社間もない僕には大変辛いものでした。
すでにこのころは目を覚まし、
自社商品の信者ではなくなっていました。
むしろ、もう売りたくない。。
というマイナススパイラルに陥っていました。
現場で不満は噴出しましたが、
上司は一貫して、
「誰もが売れるような商品を売るんだったら営業はいらない。
売れないものを売るのが営業。それが営業マンの価値だ!」
と営業会社ばりばりの理論で、
「がつがつ売りをかけていくぞ!」という強気の姿勢を崩しませんでした。
ただそんな中でもクレーム処理で上司にも対応を依頼することも増加し、
一緒にお客さんから、罵声にも似た言葉を浴びせられることが多くなると・・・
徐々に強気のマネジメントもなりをひそめ、
現場の声に耳を傾けることが多くなってきました。
結果的に、数字も大きく積み上げることができないことはもちろん、
販売しても営業効率を悪化させる、このとんでもなく生産性の低いこのソフトの、
販売を撤退するという判断をようやく会社は判断することになります。
・・・という、利益はもちろん、
市場に全く出回らないまま、幕を閉じました、、
ソフト撤退の背景には、
単なるシステムの不具合と販売不振以外に、
もう1つの要因がありました。
新たなサービスの販売を開始する目途がついていたのです。
それは上司が、読んでいたある1冊の本が鍵になっていました。
その本は日本で初めて、
SEO(検索エンジン最適化)に関する書籍でした。
今さらSEOを説明する必要もないと思いますが、当時、
検索エンジンの上位表示サービスは市場にまったく浸透していなかったのです。
特に関西では、まだまだでした。
ここに目をつけた会社は、
その書籍の筆者にコンタクトをとり、すぐに役員に据え、
SEOを反映させたWebサイトの販売に切り替えました。
この戦略が大当たりし、実績を積み上げることができた会社は、
一気に規模が拡大しました。
そこから約2年足らずで、大阪だけでなく東京にも進出。
社員数はリストラ後の20名から気がつけば200名にまで増え、
大阪のオフィスも雑居ビルから堂島の高層ビルのほぼ最上階の全フロアを利用、
また某大銀行から無担保で数億の借入ができるほど、
会社の信頼度も増していました。
優秀な人材も入ってくる中、体育会系の上司は統括の本部長に、
そして自分も営業10数名とアポインター10名の部下を束ねる、
1営業チームの管理職となっていたのです。
忘年会は2年連続で大阪の某高級クラブ。
東京のメンバーも全員大阪に呼び寄せ、
かなり豪勢な忘年会が開催されました。
社員のモチベーションも高く、
この頃は非常に勢いがありました。
この時、社長はまだ30代前半。
もともと巨漢だった体格はさらに大きくなり、
お相撲さんのような体つきになっていました(笑)
それでも綺麗な奥さんをもらい、仕事もプライベートも、
勝ち組のオーラがびんびんに出ていたことを覚えています。
年が明けても、会社の勢いは止まりませんでした。
当時、存在していたヘラクレスという株式市場への上場を目論んでおり、
上場準備の真っ最中。
管理職の自分にも株の割り当てがあり、
会社の勢いを肌で感じながら、出世&給料も上がり、
入社時の時のような、自信のない自分はもういませんでした。
そして会社はその年に、予定通り上場する!
はずでした。。。