大阪に戻ってすぐに辞めたのかというと、
そうではありませんでした。
引き継ぎ業務も膨大だったのです。
会社はこのような状態でも、
仕事はまだたくさん残っていました。
状況をわかっていないメンバーも大多数で、
このまま管理者だけが退職するというのは・・・無謀でした。
そのような中で、すでに1週間遅配していた給与については、、
振り込みではなく、
【現物支給】
という形をとるということなりました。
とにかく給与が支給されることで安堵するメンバーも多かったですが、
自分はこのようなことで、やめるという決断が揺らぐはずもありませんでした。
自分は信頼できる営業メンバー数名を集め、
あったことを全て話ました。
無責任だと思いましたが、
自分もやめることを決意したということをその場でメンバーに伝え、
やめるのであれば、一緒に辞めようと呼びかけました。
そんな中、案の定、翌月も給与遅配が発生しました。
このことで対外的にも辞める理由は明白なものとなりました。
さらに、追いうちをかけるように、
O社長の会社がうちの会社を受け入れることになったというのです。
表向きは、コンサルティングの会社ということでしたが、
何をやっているのかわからない、ヤクザ者の会社には1日もいたくないと思いました。
社長が亡くなってから、すでに2ヶ月は経過していました。
営業の管理者もすでに2名退職願いをだしていた中で、
自分も退職願いをだしました。
すると、すぐに営業メンバーの管理者が全員、
副社長に呼び出されました。
何を言われても、辞める!という決意でしたが、
会議室に通されるとそこにいたのは、、、
O社長でした。
副社長は中に入らず、そのまま退室し、
残ったメンバーとO社長だけとなりました。
・・・息がつまりそうでした。
O社長から鍵を閉められた後、
開口一番、
「おまえら、辞めるいうてるみたいやな!
これから会社を立ち直していかなあかん言う時に営業が抜けていいわけないやろ!
おまえらには責任感のかけらもない!」
など、
説得ということではなく、すごまれ続けました。
それは辞めないというまで、
帰さないという脅迫のようでした。
なかなか首を縦にふらない僕らに対してOは、
衝撃の一言を放ちました。
「お前ら、●●(社長の名前)がどんな思いで死んでいったと思うねん!
●●は自分で死んでいったんやぞ!」
社長の死因は自殺でした。
もしかしたらと思ってはいましたが、
その衝撃はなかなかのものでした。
きっと上場できなかった後、
債権の回収がひどく、かなり精神的においつめられたんだろう、
と激やせした社長を思い出しました。
一旦、O社長がたばこを吸いにいった間に、
僕らは、自席に戻り、別の管理者に状況を伝え、
このまま戻れない場合は、警察を呼んでくれと依頼をしておきました。
それほど、ひっ迫した空気でした。
かなりの圧迫感と恐怖でしたが、
それでも続けるという選択肢はありませんでした。
結局、3時間以上つめられましたが、
僕らは一切、首を縦に振りませんでした。
ようやく解放された翌日、
このことで管理者の1人は会社を飛び、連絡がつかなくなりました。
このあとも、同じようなことが何度かありましたが、
自分はこの日から2週間後、有給は消化せず、
ようやく退職することができました。
社長が亡くなってから3ヶ月後のことでした。
その後、会社は社名を2度ほど変え、
徐々に社員も辞めていったと聞いています。
最後はどうなったのか、、明確なことはわかりません。